イザナ
 異界への誘い

         副島 輝人



 姜泰煥の演奏を聴くのは,やはり無伴奏ソロが良い.
 もちろん,韓国や日本,それに欧米のミュージシャンたちとの素晴らしい共演もあるが,姜のあの超越的な音楽空間に深く接するには,ソロが一番良いのだ.とにかく純粋に個性的な創造であり,現代の音楽表現の限界とされる一線をさえ越えていると思われる創造だからである.
 そして,このCDで聴かれる音楽は,姜の最近の演奏の中でも屈指のものであろう.姜自身も,この録音には,彼がいま持っている最高のものを賭けていたに違いない.その気迫が,演奏の中から聴く者に伝わってくる.
 非常に精神性の高い音楽だ.その上,興味をそそられるのは,姜自身がそれぞれの曲についての基本的なイメージを語っていることだ.こうしたことは,長い間親しく付き合っている私にも,滅多に言おうとしなかったことである.
 一曲目『黄想念』について,「黄は栄誉や成功を表す色.それに向かって研鑽し努力する,というイメージ」.感覚的な発想である.
 二曲目『来歴諦念』とは,「時が経ち,栄誉や成功を諦めて,芸術家として更に高い創造を追求する」という,いささか自己述懐風な人生哲学,強いて言えば論理的モティーフ.
 しかし彼の音楽創造は,こうした言葉をさえ遙かに越えた,メタフィジカルでとてつもない世界を表出する.一曲目,最初から高度な奏法を惜し気もなく駆使しながら,研ぎ澄まされた音色で凄まじいアプローチを聴かせる.鮮烈でダイナミックなラインが上昇し,下降し,相交わる.これは〈生〉のエネルギーだ.欲望も執念も快楽も,それに未来への夢までがうごめいている.いわば煉獄.白紙の上に展翅されたまだ息のある虫たちの激しい足掻き.
 姜泰煥は,特殊な演奏技法を幾つも独創してきた.以前,彼はその一つ一つを曲と呼んでいた.新たに開発した技法を使って即興演奏をする毎に,新しい世界が開けていったのだ.それを,ここでは持てるものの総てを一曲の中に投入している.だから起伏に富んだ世界が創出されている.たった一つのロングトーンにも奥行きがあり,それがダイナミックな動きを感じさせると共に,異界へと誘う.中国の現代美術には,中央にあえて書き残したような空間を持たせて,「タブロオの奥から,異次元の風が吹き出してくる」と称するものがあったが,姜泰煥の音楽には,逆に人の意識を吸い込んでいく不思議な空間があるようだ.
 中国美術の譬えをもう少し続ければ,一曲目が『北画』の明瞭な線で描く厳しい岩山の精神性であるのに較べて,二曲目は『南画』風の,おおらかに霞んだ風景がある.音色も鋭角的な線が消えて,あえて不明瞭な輪郭を使っているのだ.ぼうと煙ったような風景の中に,遙かなる大地の広がりを幻視させるようなサウンドなのである.
 それは徹底した不協和なハーモニックス(多重奏法),そして,管から発せられた直後に自立した音たちが互いに干渉し合って紡ぎ出す〈音空間〉,そこに絡み付く,おびただしい微分音等から生まれる.  だから,二曲目の演奏では,靄の中に霞んだ風景を視るサウンドが創られた.これも一つの異界である.いつか視た夢の中の世界が,音になって広がっている.そして,濃い霧の中から,姜泰煥の演奏する姿が影絵のように浮かび上がってくる‥‥.
 この曲の中で,姜泰煥は人生という時間の中を歩いているのではない.時間の流れは,常に彼の内側にある.『想念』という言葉は,そこから表出されたのだろう.凄いCDがつくられたものだと思う.           (2002.7)