たちあがる音

 ドラムスティックを擦り合わせる微かな音が聞こえてくる。ピアノの一音、一音が点描的に空間に解き放たれ、響と余韻の中で互いの出方を手繰るようにサウンドが立ち上がっていき、ダイアローグが始まった。 ロジャー・ターナー は、1970年代から即興音楽を主軸に音楽家だけではなく様々な分野のアーティストと共演してきたイギリスのドラマー/パーカショニストである。この数年は何度も日本ツアーをしており、毎回多彩 な顔ぶれと即興セッションを重ねてきた。高橋悠治については、あらためて説明する必要はないだろう。ピアニスト として、現代音楽の作曲家として、その偉才ぶりは夙に知られている。クラシック/現代音楽の音楽家でありながら即興演奏も行うという稀有な存在だ。この二人が最初に顔を合わせたのは2017年の新宿ピットインでの坂田明を含めたセッション で、翌2018年には深谷エッグファームでデュオ・コンサートを行っている。 そして、ロジャー・ターナーの希望から本盤に収録されている2019年の静岡での 再演となったのだ。
 高橋の即興演奏へのアプローチはフリージャズを通 過してきた演奏家とは異なる。音を手繰り寄せるように始まった対話で、ターナーは小物を多用しつつ、高橋のピアノに応じる。緊張感漂う間合いから、繊細な響き、あたかも風神と雷神がそこにいるかのようなサウンドが嵐の如く応酬する場面 でさえ、それぞれが発する音は明瞭だ。ダイナミクスの見事さ、巧みな展開に、音空間に耳が吸い込まれていく。稀に見るクォリティの演奏だったからだろうか、そこにスコアなどある筈がない のに、聴きながらふと現代曲を耳にしているような不思議な錯覚さえ覚えたので ある。 即興演奏と言っても千差万別だ。即興特有のクリシェに陥りがちでリスク は高いが、即興だからこそ、音による対話だからこそ立ち上がってくる世界があると言っていい。その至福の瞬間がここに記録されている。
                           (横井 一江)