Masahiko Sato (ジャズピアニスト/作・編曲家)


1941年東京生まれ。慶応義塾大学卒業後、1966年から1968年にかけて米国バークリー音楽院に留学、作・編曲を学ぶ。帰国後、1969年に初のリーダー・アルバム『パラジウム』でスイングジャーナル誌「日本ジャズ賞」受賞。その後も、ビッグ・バンドのための作品『四つのジャズコンポジション』(1970年)、『邪馬台賦』(1972年)で二度の芸術祭優秀賞を受賞する。これまでに数多くのリーダー・アルバムを発表しており、スティーヴ・ガッド(Ds)、エディ・ゴメス(B)のトリオでレコーディングした『アモーフィズム』の全米発売や、“セレクト・ライブ・アンダー・ザ・スカイ’90”で誕生した『ランドゥーガ』(スイングジャーナル誌「日本ジャズ賞」受賞)のフランスでのリリースなど、国際的にも高い評価を得ている。また、ベルリン、ドナウエッシンゲン、メールス、モントルー、イースト・ミーツ・ウエスト・イン・ニューヨークなどのジャズ・フェスティバルへの出演や、アフリカ、オーストラリア、ロシア、中南米などへのコンサート・ツアーと、国内に止まらない広範な活動は常に注目を集めている。作・編曲家としては、ナンシー・ウィルソン、アート・ファーマー、ヘレン・メリル、中川昌三、伊藤君子を始めとする多数アーティストのレコーディングへの参加や、『オーケストラと三人のインプロヴァイザーのための「乱文」』(1987年)、『WAVE。とオーケストラのためのコンチェルト』(1988年)などの実験的作品、「万国博覧会〜地方自治体館」(1970年)、「花と緑の博覧会〜JT館」(1990年)などのパビリオン音楽、リチャード・デューセンバーグ。世の筆名での<ベルエア・ストリングス・シリーズ>などを手掛けている。さらに、テレビ番組、映画、コマーシャルの分野での活躍も有名である。最近では、日本武道館に千人の僧侶を集めて開催した声明コンサート“千僧音曼荼羅〜BUDDHIST MUSIC wth1000 Shomyo Voices”(1993年)において、作・編曲に加えて音楽監督も担当し、各界より多大な評価を受ける。1997年には、自己のプロデュース・レーベル<BAJ Records>を創設させ、その活躍はますます多面化するばかりである。